ノンソンブン村の人々との久方ぶりの再会
ノンソンブン村の人々との出会いは、いまタイのパタヤで生計を立てる40歳代半ばのペオが、村の中学に通っていたころでした。ざっと4半世紀以上も前の出来事です。
ノンソンブン村は当時、タイ東北部ウドンタニ県の西端に位置し、のちには分離独立したノンブアランプー県に編入されたイサーン(東北タイ)のどこにでもあるような小さな村。県都からルーイ方面へ向かう幹線道路沿いに、その村はあります。
20年以上を隔ててその村を改めて訪れたのは確か、2年ほど前のことでした。懐かしさの余りの訪問でしたが、結局1年経った2017年秋にも再度村に足を運んだものです。
冒頭の写真は、その時に幼い村人たちを撮ったものです。この村の人々との出会い、そのいきさつについての詳細は、
「食堂使用人たちの帰る村」/『ちょっと、タマダー』(三一書房刊)
リンク→ https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784380932588
に描かれています。それをご参照ください。
大きく変化したノンソンブン村の昔と今
最初にノンソンブン村に入ったときは、早朝の普通列車でバンコクを出発、コラートさらにコンケンを経て、辺りが暗くなった夜7時ごろにウドンタニに到着。そこから普通バスに乗り換え、小一時間バスに揺られてやっと村に着いたものでした。
いまではバンコクからウドンタニまで、手軽に飛行機を利用できるようになっています。村へ入る幹線道路も拡張整備され、上手く乗り継ぎができれば、バンコクから半日も経たずに村へ入れるという便利さです。
当時とは、村人の顔ぶれも大きく変わってしまいました。世話になった村長も息子もすでに鬼籍に入り、そのころからの顔見知りは村長の息子の奥さんほか数人ほど。村長の孫のダムは都会へ働きに出て、祖母が代わってダムの娘たちの面倒を見ているといったあんばいです。
変わらず、気の置けないタイの友人たち
タイ人の家を訪問するには、昔から掟があります。毎回そうしていることですが、知人の家を訪問する際は、周りの人々の腹を満たすほどの食べ物や飲み物を携えます。もし、途中で手に入らなければそれに足りる金員を最初に差し出さなければなりません。
ノンソンブン村の旧知の家では、夕暮れを待たずして宴席が始まりました。噂を耳に、匂いを嗅ぎつけ、三々五々に集まった村人たちによる、車座になっての宴の開始です。東北タイ特有のカオニャオ(蒸したもち米)の香りを浴びながら、昔話しに花を咲かせ、男も女も酒を酌み交わします。
その夜は結局、ウドンタニのホテルには戻らずに、ノンソンブン村の村外れの商人宿に部屋を取ってもらい、一晩過ごすことにしました。翌朝の早朝、昨晩の宴席で一緒だった農夫が酒臭い息のまま、野良仕事へ誘いにくるではありませんか。
前夜の宴席で、野良仕事を手伝うといった軽口を真に受けたようでした。久し振りの再会でしたが、昔と変わらぬ、気の置けないノンソンブン村の友人たちではありました。
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