遠く危険も伴なった東の果て、ウボンラチャタニへの道
いまでこそ毎日数便、格安国内航空便も飛ぶようになり、1時間ほどで行けるようになったウボンラチャタニですが、昔は東の果てという印象で、本当に辺境の地そのものでした。
タイ人の間でウボンと呼ばれるウボンラチャタニは、バンコクから600キロ以上離れていて、以前は普通列車を利用して片道10~12時間かけてやっと到着するといったあんばいです。
南はカンボジアと、東はメコン川を挟みラオスと国境を接しているという地理的条件もあり、また反政府運動のすえ軍や警察に追われた学生ゲリラが出没するとかで、国境沿いの幹線道路を走る路線バスに途中警察が乗り込んで検問に入るという時代もありました。
ウボンで知り合った女性の案内下、空軍基地に潜入
ウボンラチャタニは基地の街として栄えた町といって過言ではないでしょう。ベトナム戦争当時は、駐留米軍の基地として重要な役割を果たしました。ウボンラチャタニ空港は、官民共用空港として現在でもタイ空軍が駐屯しています。
そんなウボンラチャタニに初めて行ったとき、タイ空軍が使用する基地の中を見たくなりまいた。もちろん、かつて米空軍が駐留していたことは知っていましたし、好奇心がそうさせたのです。
たまたま、街で知り合った若いタイ女性にその旨を告げたところ、彼女の兄が基地で働いているとかで、便宜をはかり基地の内部を案内してくれるという話になったのです。
車の助手席に乗せてもらい基地の中を走ると、間もなく米軍のアパッチ攻撃ヘリの残骸が横たわっているのが目に入りました。事前に彼女から写真撮影は控えるように注意されていましたが、思わず身をかがめヘリの残骸にカメラを向けていました。
すると、どうでしょう。「あなた、もしかしてスパイじゃないの?」と、彼女が問いかけてきたのです。冗談とは知りつつ、必至で否定しその場から離れましたが、そのあと基地から出るまでの間、緊張から解放されることはありませんでした。
翌日は基地開放日、ゲートにはウボン市民の行列
次の日の午前、宿泊していた確か、スニーグランドホテルを出て朝食を取るために街を散策していました。チャヤンクン通りとアパリサン通りが交わる交差点までくると、アパリサン通りに面した基地ゲート付近が人ごみでごった返しているのが見えます。
何事かとゲートに近づくと、タイ人の老若男女がどんどん基地の中に入っていくではありませんか。聞くと、1月の第2土曜日のその日はタイの子供の日とかで、空軍基地が一般に開放される日だそうです。
当時はタイ語がほとんど話せなかったこともあり、もちろんそんな事情も知りませんでした。前日の緊張と冷や汗は何だったのだろうと自問しつつ、知らない土地への旅の面白さを噛みしめていたものです。
ところで、タイでのベトナム戦争の痕跡は、かつてはあちらこちらで目にすることができました。東北タイを南北に走る大動脈・国道2号線には、以前は中央分離帯がなく直線が続く道路は米軍機の滑走路としても使用できるように造られたと聞いています。
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