タイ人ご愛用のカラオケと日本人行きつけのカラオケ
タイでのカラオケの普及は、タイ風すき焼き「タイスキ」の大衆化と歩を同じくしていた・・・。両者は無縁のようでもありますが、私見ではそんな印象を持っています。
バンコクでタイスキが、「コカ」など限られた高級レストランでしか味わうことができなかった当時、タイではカラオケもごく限られた人たちに親しまれていたに過ぎませんでした。
そのころのカラオケはカラオケスナックを意味し、日本人の観光客や駐在員がバンコクのタニヤ辺りで現地女性を外に連れ出す、定番の大人の社交場だったのです。
バンコクや郊外のショッピングセンターに、大衆タイスキ店の「MK」が続々オープンした時代、タイ人ご愛用のカラオケ店もタイ全土に広がったように思えます。タイ人の所得がいくらか上がった結果で、お互い関連性があったとは言えませんが。
タイの地方では、エアコンなしの食堂カラオケが定番
だいぶ前に、ノンカイでカラオケへ案内されたことがあります。タイ語でバイクやオートバイを「モーサイ」と呼びますが、モーサイの後部に乗せて、町外れのカラオケ店へ連れて行ってくれたのは、街で知り合った若いカトゥーイでした。
カトゥーイとはいわばタイ版ニューハーフで、ほかにレディーボーイとも呼ばれます。祭りや風習の影響か、地方とくに東北タイでは昔からよく見かけたものです。
最近のバンコクのカトゥーイと異なり、決して美人ではないカトゥーイが指し示したのは、一見何の変哲もない田舎の食堂でした。違いは店の奥まった場所に、カラオケのモニターが掲げてあり、道路に漏れるリズミカルな伴奏に合わせ、客の若者が気持ち良さそうに歌っていることでした。
地方というと、東北タイの東部メコン川沿いのムクダハンという街のカラオケは、畑の畔みち脇に店を構えていました。それも藁ぶき屋根で藁と板塀に囲われたカラオケ店。もちろん、エアコンなしで音は外へ筒抜けです。
バンコク、サムエープラカノンの食堂カラオケ
バンコク・スクムビット通りもソイ40番台半ば近くのBTSプラカノン駅周辺は、かつてはプロンポーン駅辺りとは異なり、場末の雰囲気でした。再開発前の映画館裏の空き地では、チンタラ―・プーラックのコンサートが開かれ、周辺の東北タイ出身者を熱くしたものです。
パランシーと呼ばれるラーマ4世通りがスクムビット通りに交わるサムエープラカノン辺りは、まさにそうした場末の風情が色濃く残る土地柄でした。彼らタイ人たちの憩いの場所が、大通りに面して店を構える食堂カラオケです。
店ではガイヤーン(鶏肉のたれ焼き)などのイサーン(東北タイ)料理が提供され、田舎の懐かしい香りが周辺に漂い、大音量のカラオケが辺り構わず響きます。聴衆はエアコンなしの普通バスやモーサイタクシーの客たちです。
そうした風景を想い起こし、ラジカセの時代から地方の農家でも都会のスラムでも、なぜタイ人は大音量で音楽を流すのか、改めて気になったものでした。
All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.