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タイランド 旅行記

Blog2020「タイ国旅行記」

タイの都会から田舎まで、面白体験記+α!

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Blog2020「タイ国旅行記」は、これまでのタイ国内の旅で経験・体験した出来事や印象などを、モノローグ的に書き記したものです。タイが好きで何度となく足を運んでいる方、あるいはタイ訪問の経験はないが関心がある方、ひとりの日本人タイフリークのたわいない独白として楽しんでいただければ幸いです。

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ご意見・ご感想など、お寄せ願えれば幸いです

<目次>

01)タイ・バンコクの防寒着レンタルショップ
02)東北タイ・ノンソンブン村に暮らす古い友人たち
03)バンコク・タワンデーンのトイレの粋な?サービス
04)シーチェンマイのラーメンは、木の葉たっぷり健康麺
05)タイ人ご用達・食堂カラオケは、大音響が周りまで筒抜け
06)ウボンの空軍基地で、冗談ながらスパイ呼ばわり!
07)いかさまトランプ詐欺の仲間入り強要で、一時軟禁状態に
08)コンケンのタイ式ホテル、ロツコンホテルと近隣の楽しみ
09)スクムビット・ソイ71界隈のコン・イサーン的快楽法
10)タイ旅行で初めて出会った「スカー」という名のトイレ
11)バンコク郊外で、巨大象に出会えるミュージアム
12)東北タイ農村の村の高床式住居滞在でよみがえった郷愁
13)タイ・バンコクの台所、クロントーイ市場の活況
14)チェンライのランドマーク、ライトアップされた大時計台

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06)ウボンの空軍基地で、冗談ながらスパイ呼ばわり!




遠く危険も伴なった東の果て、ウボンラチャタニへの道

いまでこそ毎日数便、格安国内航空便も飛ぶようになり、1時間ほどで行けるようになったウボンラチャタニですが、昔は東の果てという印象で、本当に辺境の地そのものでした。

タイ人の間でウボンと呼ばれるウボンラチャタニは、バンコクから600キロ以上離れていて、以前は普通列車を利用して片道10~12時間かけてやっと到着するといったあんばいです。

南はカンボジアと、東はメコン川を挟みラオスと国境を接しているという地理的条件もあり、また反政府運動のすえ軍や警察に追われた学生ゲリラが出没するとかで、国境沿いの幹線道路を走る路線バスに途中警察が乗り込んで検問に入るという時代もありました。




ウボンで知り合った女性の案内下、空軍基地に潜入

ウボンラチャタニは基地の街として栄えた町といって過言ではないでしょう。ベトナム戦争当時は、駐留米軍の基地として重要な役割を果たしました。ウボンラチャタニ空港は、官民共用空港として現在でもタイ空軍が駐屯しています。

そんなウボンラチャタニに初めて行ったとき、タイ空軍が使用する基地の中を見たくなりまいた。もちろん、かつて米空軍が駐留していたことは知っていましたし、好奇心がそうさせたのです。

たまたま、街で知り合った若いタイ女性にその旨を告げたところ、彼女の兄が基地で働いているとかで、便宜をはかり基地の内部を案内してくれるという話になったのです。

車の助手席に乗せてもらい基地の中を走ると、間もなく米軍のアパッチ攻撃ヘリの残骸が横たわっているのが目に入りました。事前に彼女から写真撮影は控えるように注意されていましたが、思わず身をかがめヘリの残骸にカメラを向けていました。

すると、どうでしょう。「あなた、もしかしてスパイじゃないの?」と、彼女が問いかけてきたのです。冗談とは知りつつ、必至で否定しその場から離れましたが、そのあと基地から出るまでの間、緊張から解放されることはありませんでした。




翌日は基地開放日、ゲートにはウボン市民の行列

次の日の午前、宿泊していた確か、スニーグランドホテルを出て朝食を取るために街を散策していました。チャヤンクン通りとアパリサン通りが交わる交差点までくると、アパリサン通りに面した基地ゲート付近が人ごみでごった返しているのが見えます。

何事かとゲートに近づくと、タイ人の老若男女がどんどん基地の中に入っていくではありませんか。聞くと、1月の第2土曜日のその日はタイの子供の日とかで、空軍基地が一般に開放される日だそうです。

当時はタイ語がほとんど話せなかったこともあり、もちろんそんな事情も知りませんでした。前日の緊張と冷や汗は何だったのだろうと自問しつつ、知らない土地への旅の面白さを噛みしめていたものです。

ところで、タイでのベトナム戦争の痕跡は、かつてはあちらこちらで目にすることができました。東北タイを南北に走る大動脈・国道2号線には、以前は中央分離帯がなく直線が続く道路は米軍機の滑走路としても使用できるように造られたと聞いています。

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05)タイ人ご用達・食堂カラオケは、大音量が周りまで筒抜け




タイ人ご愛用のカラオケと日本人行きつけのカラオケ

タイでのカラオケの普及は、タイ風すき焼き「タイスキ」の大衆化と歩を同じくしていた・・・。両者は無縁のようでもありますが、私見ではそんな印象を持っています。

バンコクでタイスキが、「コカ」など限られた高級レストランでしか味わうことができなかった当時、タイではカラオケもごく限られた人たちに親しまれていたに過ぎませんでした。

そのころのカラオケはカラオケスナックを意味し、日本人の観光客や駐在員がバンコクのタニヤ辺りで現地女性を外に連れ出す、定番の大人の社交場だったのです。

バンコクや郊外のショッピングセンターに、大衆タイスキ店の「MK」が続々オープンした時代、タイ人ご愛用のカラオケ店もタイ全土に広がったように思えます。タイ人の所得がいくらか上がった結果で、お互い関連性があったとは言えませんが。




タイの地方では、エアコンなしの食堂カラオケが定番

だいぶ前に、ノンカイでカラオケへ案内されたことがあります。タイ語でバイクやオートバイを「モーサイ」と呼びますが、モーサイの後部に乗せて、町外れのカラオケ店へ連れて行ってくれたのは、街で知り合った若いカトゥーイでした。

カトゥーイとはいわばタイ版ニューハーフで、ほかにレディーボーイとも呼ばれます。祭りや風習の影響か、地方とくに東北タイでは昔からよく見かけたものです。

最近のバンコクのカトゥーイと異なり、決して美人ではないカトゥーイが指し示したのは、一見何の変哲もない田舎の食堂でした。違いは店の奥まった場所に、カラオケのモニターが掲げてあり、道路に漏れるリズミカルな伴奏に合わせ、客の若者が気持ち良さそうに歌っていることでした。

地方というと、東北タイの東部メコン川沿いのムクダハンという街のカラオケは、畑の畔みち脇に店を構えていました。それも藁ぶき屋根で藁と板塀に囲われたカラオケ店。もちろん、エアコンなしで音は外へ筒抜けです。




バンコク、サムエープラカノンの食堂カラオケ

バンコク・スクムビット通りもソイ40番台半ば近くのBTSプラカノン駅周辺は、かつてはプロンポーン駅辺りとは異なり、場末の雰囲気でした。再開発前の映画館裏の空き地では、チンタラ―・プーラックのコンサートが開かれ、周辺の東北タイ出身者を熱くしたものです。

パランシーと呼ばれるラーマ4世通りがスクムビット通りに交わるサムエープラカノン辺りは、まさにそうした場末の風情が色濃く残る土地柄でした。彼らタイ人たちの憩いの場所が、大通りに面して店を構える食堂カラオケです。

店ではガイヤーン(鶏肉のたれ焼き)などのイサーン(東北タイ)料理が提供され、田舎の懐かしい香りが周辺に漂い、大音量のカラオケが辺り構わず響きます。聴衆はエアコンなしの普通バスやモーサイタクシーの客たちです。

そうした風景を想い起こし、ラジカセの時代から地方の農家でも都会のスラムでも、なぜタイ人は大音量で音楽を流すのか、改めて気になったものでした。

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04)シーチェンマイのラーメンは、木の葉たっぷり健康麺




水上10メートル、大河にせり出したシーチェンマイ食堂

東北タイのラオスへの玄関口、ノンカイからメコン川に沿って242号線を西へ約1時間、小型乗り合いバスのソーンティオに揺られて進むとシーチェンマイという小さな街に出ます。ずいぶん昔、その街を訪れましたが、当時は日本人が訪れることも稀だったようです。

そんなシーチェンマイにあって、河岸からメコン川にせり出すように、質素な食堂がありました。対岸はラオスの首都ビェンチャンの郊外に当たるようで、緑に囲まれた住宅が散在するのが遠望できます。

ノンカイからの小旅行ののちの小休止だったこともあり、食堂でタイラーメンを注文するなり、まずはトイレ拝借となりました。驚いたのは、そのトイレのスリリング極まりないことです。

店の女主人に手で示され向かったトイレは、メコン川にせり出した食堂の先端にあり、簡単な扉と板囲いに囲まれた小さな空間からは、10メートルほどの眼下に、雄大なメコン川の川面が覗ける、そんな危険な?トイレだったのです。




野趣な味のハーブと共に食するベトナム風クィッティオ

さて、スリリングなトイレから無事帰還し、テーブルに戻って間もなく提供されたタイラーメンつまりクィッティオには、皿に盛られたバーブ類が添えられていました。それまでバンコクをはじめタイ国内を旅する間に食べたクィッティオにはないスタイルだけに、興味津々。

ここではバジルやミントなどの香草類に加えてインゲン、細かく千切ったキャベツがありましたが、ほかにパクチやライムなどが盛られることもあります。さらに細かく千切ったりして、クィッティオの器に入れ、全体かき混ぜながら食するのが、ベトナム風です。

野趣な味わい豊富なハーブと共に食するベトナム風クィッティオですが、ベトナム料理全般、野菜をふんだんに使ったヘルシーな料理が多いのが特徴でしょうか。そのためかアオザイを身にまとった若い女性には、肥満のイメージがありません。




ベトナム文化が深く入り込むノンカイ周辺のタイランド

ラオスを間に挟んだ遠いベトナムの、料理をはじめ文化の影響が、なぜメコン川沿いの東北タイ、ノンカイ周辺にまで及んだのでしょう。その背景には、ベトナムをはじめとする周辺のアジアの人々を苦しめた戦争の歴史があったのです。

日本の敗戦を契機に独立の機運が高まるベトナム、ラオス、カンボジア3国の独立をめぐって始まった旧宗主国フランスへの抵抗戦争とその後勃発した対米ベトナム戦争。立て続けの戦禍は、ベトナム人をはじめとする多くの市民を難民へと追いやりました。

戦禍を逃れ、ラオスを通ってタイへ辿り着いたのでしょう。いまでも多くのベトナム人やその子孫が、ラオスを隔てたメコン川沿いの東北タイに暮らしています。ノンブアランプーへの何回目かの旅で泊まった商人宿の老いた女主人は、そうしてタイで一旗揚げた、かつてのベトナム人難民でした。

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03)バンコク・タワンデーンのトイレの粋な?サービス




バンコク最大のエキサイティングスポット

バンコクのペッブリー通りからパッタナカーン通りに入り、ほどなくして右手に見えるのが、ディープなタイを好むタイフリークが愛して止まないタワンデーンというお店です。極めて私的な評価ですが、バンコク最大のエキサイティングスポットは、ここをおいてほかにありません。

タワンデーンはイサーンと呼ばれる東北タイ独特の音楽が楽しめ、激辛のイサーン料理が味わえる大型レストランです。店内は広く数百人の客がゆうに座れるテーブル椅子が設置されていて、店内は店員の足元を照らすライトの明かりを借りても見えにくいほどの暗さです。

夜10時ごろから始まり深夜まで続くステージには、有名無名の歌手が代わる代わるに登場。客はイサーンでは馴染みのモーラムの歌や演奏に身体を揺らし、タイビールやラオカーオと呼ばれるタイ焼酎を浴びるように飲み、一夜を過ごします。




コン・ラーオが愛するモーラムの殿堂

このタワンデーンはバンコクにあって、コン・ラーオが愛するモーラムの殿堂といっていいでしょう。コン・ラーオとは、ラオスと民族を同じくする東北タイ出身のタイ人のことです。

東北タイ出身者の間で、一時熱狂的に支持されたのがチンタラ―・プーラックという女性歌手で、タイの美空ひばりとも呼ばれたほど。男性ポピュラー歌手ナンバーワンのトンチャイとのデュエット曲は、ある時期街で聞かれない日はないほどでした。

そんなチンタラ―が得意にしていたのが、モーラムです。モーラムにはテンポの早い一見ラテン音楽っぽいものと、メロディ重視の哀愁溢れる曲があります。

東北タイの町や村でのイベントには必ずといっていいほどこのモーラムの曲が流れ、とくにアップテンポの曲に合わせて踊るラムウォンでは、コン・ラーオは彼らのアイデンティティーを掻き立てられるのが常です。




トイレでの初体験は一種のカルチャーショック

そうした興奮が体現できるのがタワンデーンで、ステージ前に設けられたダンススペースは毎夜、身体いっぱい悦びを表現しようとするコン・ラーオたちに占められます。

冷房ギンギンの店内で軽快なモーラムを身体中で浴び、タイビールを何倍も飲み干す・・・。こうなると自然とトイレが近くなるのは、タワンデーンだけではありません。

タワンデーンを訪れ最初にトイレに行ったときは、ある種のカルチャーショックを受けたものでした。ステージ反対の薄暗く奥まったところにあるトイレに入り、小用を済ませているといきなり背後から首筋に蒸しタオルがかかるではありませんか。

その時、瞬間的に小用を休止してしまいましたが、それは1回20バーツのショートマッサージ・サービスだったのです。最初はいくらかの驚きもあり抵抗感をおぼえたものですが、その後は喜んでサービスの申し出に応えるようになったものです。

ちなみに、末尾の写真のタイ人たちはステージに立つ歌手やダンサーで、マッサージボーイではありません。誤解されないように、念のため。

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02)東北タイ・ノンソンブン村に暮らす古い友人たち




ノンソンブン村の人々との久方ぶりの再会

ノンソンブン村の人々との出会いは、いまタイのパタヤで生計を立てる40歳代半ばのペオが、村の中学に通っていたころでした。ざっと4半世紀以上も前の出来事です。

ノンソンブン村は当時、タイ東北部ウドンタニ県の西端に位置し、のちには分離独立したノンブアランプー県に編入されたイサーン(東北タイ)のどこにでもあるような小さな村。県都からルーイ方面へ向かう幹線道路沿いに、その村はあります。

20年以上を隔ててその村を改めて訪れたのは確か、2年ほど前のことでした。懐かしさの余りの訪問でしたが、結局1年経った2017年秋にも再度村に足を運んだものです。

冒頭の写真は、その時に幼い村人たちを撮ったものです。この村の人々との出会い、そのいきさつについての詳細は、
「食堂使用人たちの帰る村」/『ちょっと、タマダー』(三一書房刊)
に描かれています。それをご参照ください。




大きく変化したノンソンブン村の昔と今

最初にノンソンブン村に入ったときは、早朝の普通列車でバンコクを出発、コラートさらにコンケンを経て、辺りが暗くなった夜7時ごろにウドンタニに到着。そこから普通バスに乗り換え、小一時間バスに揺られてやっと村に着いたものでした。

いまではバンコクからウドンタニまで、手軽に飛行機を利用できるようになっています。村へ入る幹線道路も拡張整備され、上手く乗り継ぎができれば、バンコクから半日も経たずに村へ入れるという便利さです。

当時とは、村人の顔ぶれも大きく変わってしまいました。世話になった村長も息子もすでに鬼籍に入り、そのころからの顔見知りは村長の息子の奥さんほか数人ほど。村長の孫のダムは都会へ働きに出て、祖母が代わってダムの娘たちの面倒を見ているといったあんばいです。




変わらず、気の置けないタイの友人たち

タイ人の家を訪問するには、昔から掟があります。毎回そうしていることですが、知人の家を訪問する際は、周りの人々の腹を満たすほどの食べ物や飲み物を携えます。もし、途中で手に入らなければそれに足りる金員を最初に差し出さなければなりません。

ノンソンブン村の旧知の家では、夕暮れを待たずして宴席が始まりました。噂を耳に匂いを嗅ぎつけ、三々五々に集まった村人たちによる、車座になっての宴の開始です。東北タイ特有のカオニャオ(蒸したもち米)の香りを浴びながら、昔話しに花を咲かせ、男も女も酒を酌み交わします。

その夜は結局、ウドンタニのホテルには戻らずに、ノンソンブン村の村外れの商人宿に部屋を取ってもらい、一晩過ごすことにしました。翌朝の早朝、昨晩の宴席で一緒だった農夫が酒臭い息のまま、野良仕事へ誘いにくるではありませんか。

前夜の宴席で、野良仕事を手伝うといった軽口を真に受けたようでした。久し振りの再会でしたが、昔と変わらぬ、気の置けないノンソンブン村の友人たちではありました。

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01)タイ・バンコクの防寒着レンタルショップ

防寒着レンタルショップ




常夏の国タイには、冬がない!

日本から飛行機でおよそ6時間、タイの玄関口として、昔はドンムアン国際空港、いまは大半の便がスワンナプーム国際空港に到着します。

とくに、ドンムアン空港がバンコク唯一の国際空港だった時代は、タラップからバスに乗り、空港ビルに入ることが多く、飛行機から降り立つと東南アジアの南国独特の熱気と匂いに包まれたものでした。

タイのバンコクは極端に言えば、一年中Tシャツとジーンズで過ごせるほどの陽気で、冬期に当たる12月~2月の早朝でも気温が20度を下回ることはほとんどありません。




雪景色は訪日タイ人のロマンであり憧れ

タイ経済の好調が続き、さらにはビザなしで日本へ観光旅行できるようになって、日本を訪れるタイ人はこの間、明らかに増加傾向にあります。

とくに、Tシャツのような薄着で通年暮らせるタイ人の間では、タイ北部の山地でも巡り合うことのほとんどない、降雪や雪景色を体験することは、ひとつのロマンであり憧れでもあるのです。

実際、2年ほど前の冬に、観光旅行で日本を訪れた知り合いのタイ人ファミリーは、関西国際空港から日本へ入るなり、その足で飛騨高山から白川郷を回り、ロマンチックかつ伝統的な日本の雪景色を堪能していました。




常夏のタイに暮らすタイ人と防寒着

近年、知り合いのタイ人ファミリーばかりでなく、多くのタイ人旅行者が日本を訪れ、日本の冬景色を楽しんだり、長野や新潟、北海道でウィンタースポーツに興じるという話はよく耳にします。

私は最近よく、スワンナプーム国際空港とBTSパヤタイ駅を結ぶエアポートリンクの中間駅ラームカムヘン駅そばのホテルを利用することが多いのですが、駅に向かうコンコースでハタと目にし、撮影したのが冒頭のウィンドウ写真です。

まさに防寒着、冬用コートのレンタルショップで、タイ人の知り合いのファミリーをはじめとするタイ人旅行者が、日本の厳寒の冬にどのように備えていたか、納得させられたように思いました。

もちろん、すべての冬場の訪日タイ人が、一週間単位などで借りられるこうしたレンタルコートショップを利用しているわけではないでしょうが、ここにひとつ商売人の逞しさを見たような気がしたものです。

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